毎日朝起きて、ご飯を食べ、仕事をし、帰宅・就寝する。
そんな普通の毎日の中で自分が気がついていることはほんの少しなんだろうな、と思います。
自分が一つのフィルタになっていて、自分が見たいモノだけを(自分の色眼鏡で)見ているのかもしれないとさえ思います。
あまりよいたとえではありませんが、学校に行っている時、沢山の生徒の中から、自分の好きな子だけはちゃんと見つけることができる。知らない子は目にも入らないようにさえ感じる。(ちょっと言い過ぎ。笑)
運動会でたくさんいる子供たちの中から、自分の子供をちゃんと見つけることができる。
アンテナを立てると見えてくる。そんなことかもしれないと。
ある本では「チャンスは誰にも同じように訪れる。ただ、いつ来るかはわからない。だからチャンスが来た時に気づけるようにアンテナを立てておくこと。そしてその機会を逃さず生かせるように、普段から自分がやれる準備・努力をしておくべきだ。」と書いていました。
なるほど。自分の周囲には(見える、見えないにかかわらず)膨大な情報や機会が存在している。
その中から何を感じ取り、どのように活用して生きていくのかは、それぞれに任されているのかもしれませんね。
何かを意識し、意図して見ようと思うかどうか。それが大事だと。
そうしなければ、見えるものも見えないし、感じることもない可能性が高まるのではないかと。
確かに思い当るところがあります。
腕の良いプロジェクトマネージャやリーダは、問題となりそうな予兆を素早く捉えて手を打ってしまいます。
出来の悪いプロマネは、問題が大きくなって、誰が見てもわかるようになってから(挙句の果てに上司に怒鳴られてからww)後手後手の対応を始めます。
腕の良いレビューアは、他の人が気づかないところに目が行き、適切な指摘事項として相手に伝えることができます。
腕の良いテストエンジニアは、他の人が検出できない故障や欠陥を検出することができます。
どの例も、同じ情報をもとにしてやっていることなのに、他の人と結果が異なっています。
それは「何かを意図して見ようとしているかどうか」が要因になっているのではないかと。
目の付け所、着眼点、関心事、、、いろいろな言い方がありますが、これらを「観点」と呼ぶことにします。
レビューを例に考えてみましょう。
レビュー対象のドキュメントをいきなり渡されて「これ、レビューしてね」と漠然と言われる。
ぼんやりレビューしてもほとんど指摘ができないことが多い。
一方「こういう視点で確認してもらえますか」と具体的にお願いすると、指摘事項が出てきたりする。
「こういう視点(観点)で」と意識づけると見つけやすくなる。
人間の特性なのだからこれを活用しない手はありません。
レビューでまともな指摘が出ない、テストで欠陥が見つからない、問題が大きくならないと気づけない・・・などなどよく聞く話ですが、そのような問題が発生している背景には「その時に必要な観点が導出できていない」「必要な観点が具体的に設定されていない」という要因がありそうな気がします。
常日頃、何を大事にし、何を見ようとしているか・・・観点を大事にして仕事を、そして生活を充実したものにしたいものですね。
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