メトリクス。
これ、以前から結構人気があるし、いつになっても一定レベルでその人気は安定していると感じる。
しかし、メトリクスを使いこなし、効果を出すのはそう簡単なことではない。
メトリクスを活用したために、おかしな判断が下されたり、特定の人間が断罪されたりすることもある。
また、組織としてメトリクスを取ることが目的化して、多くの手間をかけて沢山の数値を収集するものの、経営層や外部の評価者(例えば顧客や審査員など)に”実践していることを取り繕う”ためだけに活用・・・本当の意味で役立っているのかが???になったりすることもある。
そもそもメトリクスは何のための道具なのか?
答えの一つは”モノゴトを客観的に見るため”なんだと思う。
でもね、対象の実態を表さないメトリクス(じゃ、客観的だって意味ないよねww)も多いので注意が必要だ。
客観的に対抗する言葉は”主観的”だ。
主観=色眼鏡なので、その代表格は「人間」の受け取り方や感覚。
客観性を重視するメトリクスの敵は人間になったりする。
機械が行うことは客観的データとして取得しやすいが、人間や組織が行うことやその意味を客観的データで把握するのは非常に難しい。
定性的な質問事項に照らして「〇〇さんのスキルレベルは4(とみなそう)」「あなたの組織の成熟度は5だ」など、実は定性的なものを定量的に見せることも提案され、いろいろ使われている。
でも、客観性を高めることはできるが、評価・判断する人間の思惑などにも左右されるので怪しいところも多々ある。
さらに人間の感覚は間違っていることもある。
感覚がその日の体調や精神状態、人間関係などに左右されることもしばしばだ。
だからかもしれないが、メトリクス強行派(って名称がよいかはわからないがw)の中に、人間の実感や感覚を無視・軽視して、客観的なデータだけに目を向ける、信じ込む人が少なからず存在しているように感じることがある。
いやもしかすると、人間はめんどくさい・・・だから、すぐに答えがわかる(めんどくさくない)客観データにすがりつこうとしているのかもしれない。
あくまでも個人的な意見だが、主観情報と客観情報の活用バランス、なるものがあってよいかなぁ、と思う。
どっちかだけに偏ると見えるものが見えなくなったり、わかることがわからなくなったりするからね。
例1:テストやレビューでは「客観的な事実」で結果を示すことが重要だけど、その結論に至る過程というかきっかけは「ん?何かおかしいなぁ」とか「あれっ?」「具体的に言えないけど何かしっくりこない」っていう感覚だったりする。
例2:何かの数値情報が示された際に「ん~、実感と違うなぁ」って感じることがある。
最近ではさまざまな景気動向指数が発表され”景気がよくなっている!”と報道されるものの、街頭インタビューでは「ぜんぜん実感がない」と答える人が大多数、なんてのもこの事例。
IT業界では、進捗90%までは順調で、それ以降ず~っと進捗度が変化しない・・・という事例も多い。
メトリクスで本当の実態を表せないこともよくある話なのだから、100%完全には信用することができない人間の感覚を無視したり軽視するのはフェアじゃないし、むしろ余計な手間とお金がかからない人間の感覚をもっと重視してもよいのでは?と思う。
一つの数値や事実だけで〇×などの判断や全体の真実を把握できない、てことはよくある話だ。
複数の情報を活用して本当の状況把握や判断の精度を高める必要があるのだから、客観的なデータと関係者の感覚の両面を活用しない手はない、と思う。
テストやレビュー、あるいは別の人から説明を受けている際などに「ん?」と感じたら、そこをより深く掘ってみよう。
関係者の中で「ん?」と感じた人がいたら、みなが明確には気づいていない「何か」があるかもしれないと察して、調べてみよう。
そしてたとえそれが空振りに終わったとしても、その人の信用を落とす必要はない。
自分だって間違うことがあるし、人間だれしも間違うのだから。
それ以降も同じように人間が持つセンサーの「ん?」を大事にしよう。
それはメトリクスの効果、モノゴトの判断の容易さと的確さを高めてくれるだけでなく、”人間は基本的に信頼に値する”ことを共有することにつながると思う。
PS:書いてみて・・・ホントに文才ないな→自分ww
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